スズキ自動車相談役の鈴木修氏が、リニア建設の妨害をするのはなぜなのでしょうか。
葛西敬之さんと犬猿の仲と言われますが、過去に何があったのでしょうか。
鈴木修氏がリニアを妨害する理由についてまとめました。
リニア反対派・鈴木修氏とは?
スズキ自動車相談役・鈴木修氏のプロフィールを見てみましょう。
鈴木修 スズキ自動車相談役のプロフィール
- 名前:鈴木修
- 読み方:すずき・おさむ
- 生年月日:1930年1月30日
- 年齢:94歳
- 出生地:岐阜県
- 職業:実業家・鈴木株式会社相談役
鈴木修氏は、2008年にスズキ自動車の代表取締役社長に就任しました。
2015年にスズキ自動車の会長に、2021年に会長を退任して相談役に就いています。
スズキは静岡トップシェア
スズキ自動車は、静岡県の製造業では1位。まさにトップシェアを誇る企業です。
静岡県内企業の売上高ランキング(2022年)
- スズキ株式会社 4兆6416億円
- ヤマハ発動機株式会社 2兆2484億円
- ヤマハ株式会社 4514億円
- 株式会社キャタラー 3764億円
- マックスバリュ東海株式会社 3764億円
2位~5位の売上高を足しても届かないくらい、静岡県ではスズキ自動車が一人勝ち状態ですね!
スズキ自動車は輸出も好調で、インドの乗用車市場におけるスズキのシェアは47.7%でトップを誇ります。
スズキの本社は、静岡県浜松市南区。従業員数は16,550人。
ということで、浜松市、および静岡県では、スズキは政財界に強い力を持っているのですね!
JR東海名誉会長 葛西敬之とは?
次に、JR東海名誉会長・葛西敬之氏のプロフィールを見てみましょう。
葛西敬之 JR東海名誉会長のプロフィール
- 名前:葛西敬之
- 読み方:かさい・よしゆき
- 生年月日:1940年10月20日
- 出身:兵庫県明石市
- 亡くなった日:2022年5月25日
- 没年:81歳
- 職業:実業家・東海旅客鉄道株式会社名誉会長
葛西敬之氏は、JR東海静岡支社総務部長、JR東日本東北本部総務部長を務めた後に、国鉄本社で経営企画室主管、職員局次長を務めました。
1990年にJR東海代表取締役副社長に、1995年にJR東海代表取締役社長に就任。
2004年にJR東海代表取締役会長、2014年にJR東海代表取締役名誉会長になっています。
2020年に79歳でJR東海の代表取締役の座を退き、JR東海名誉会長となりました。
2022年5月25日に、間質性肺炎により81歳で亡くなっています。
リニア建設は葛西敬之の肝入りプロジェクト
リニア建設は、葛西敬之名誉会長が進めていた肝入りプロジェクトでした。
葛西敬之氏は、JR東海の「皇帝」と言われるほどの権力を持っていました。
もともとリニア建設は、技術的な難易度が高く、難工事が予想されることから、技術者たちは、トップ交代後に計画が軌道修正されることを望んでいたようです。
しかし、財政投融資から3兆円の融資が決まったことにより、計画の変更が困難になってしまいました。
鈴木修のリニア妨害はなぜ?
スズキ自動車相談役・鈴木修氏が、リニアを妨害する背景には、故・葛西敬之JR東海名誉会長との確執があったと言われています。
どのような確執があったのでしょうか。
静岡県における政財界の派閥争い
鈴木修氏は、1958年にスズキの2代目社長・鈴木俊三氏の婿養子に入り、1978年にスズキ自動車の代表取締役社長になっています。
葛西敬之氏は、1990年にJR東海代表取締役副社長に就任しています。
2021年よりJR東日本はインド高速鉄道を作るプロジェクトにも参加しており、静岡県内の政財界における派閥争いと同時に、インドでのシェア争いもしているのではないかと言われています。
経営者としての哲学の違い
葛西敬之氏は、「政商」とまで呼ばれ、政治家との太いパイプを作り、国の在り方にまで口を出すような人物でした。
現場主義で商人気質だった鈴木修氏にとって、現場よりも権威を優先する葛西敬之氏の考え方が気に食わなかったのではないか?と考えられます。
コメント