【実家の画像】頼清徳の生い立ちが壮絶でヤバい!炭鉱の貧困家庭出身。

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台湾民進党の頼清徳(らい・せいとく)さん。

台湾の総統選最有力候補でもあります。

今でこそインテリ・ライ博士として知られている頼清徳さんですが、炭鉱の超貧困家庭出身であり、その生い立ちはかなり壮絶なものであったようです。

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頼清徳の生い立ちが壮絶!

頼清徳(らい・せいとく)さんは、1959年10月6日生まれで、現在は65歳。

生まれは、中華民国 台湾省台北県万里郷(現:新北市万里区)の炭鉱。

頼清徳さんは、6人兄弟の5人目として誕生しました。

頼清徳さんの生い立ちについて見ていきましょう。

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頼清徳0歳の時に父親が亡くなる

頼清徳さんの父親は、頼朝金さん。鉱山労働者でした。

頼清徳さんが2歳の時に炭鉱の火災事故で亡くなっています。

数え年で2歳の時なので、頼清徳さんの父親が亡くなったのは、実際には頼清徳さんが生後数か月の時だったようです。

数え年の考え方

「数え年」は、生まれたときを「1歳」、年が明けると「2歳」と数えます。
1959年10月6日→数え1歳(実際には0歳)
1960年1月1日→数え2歳(実際には0歳)

頼清徳さんは6人兄弟の5番目なので、この時頼清徳さんの母親は妊娠中

身重な体で、一家の大黒柱を失い、6人の子どもを育てていかなくてはならない状況になってしまったのですね(;_:)

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【実家の画像】頼清徳は6人兄弟。炭鉱で育つ

頼清徳さんは、2歳(0歳)で父親を亡くした後も、鉱山の隣の小さな家で育ちました。

頼清徳の実家(万里区)

頼清徳さんの母親は、炭鉱労働者の出入りや石炭搬出のための台車の機械操作で、6人の兄弟を養い、生計をたてていました。

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実力で超難関高校へ進学した頼清徳

頼清徳さんは、幼少期より、学業の成績が良く、鉛筆や筆箱などの褒賞を度々もらったそうです。

万里中学の卒業後、建国高級中学(高校)に合格して進学。建国高級中学は、台北市で最難関の男子校で、万里中学卒業生としては初の合格者だったそうです。

1978年に頼氏は台湾大学医学部リハビリ学科に入学,大学時代は家庭教師で学費と生活費を捻出していました。

貧困家庭で育った頼清徳さん。

頼清徳さんは、後にインタビューで「父が私に残してくれた最大の財産は貧困だった」と話し、逆境に負けない強さを強調しています。

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